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米沢へ

公開日時
2017-07-03T14:11:20+09:00
タグ
sonota

土日は諸事情により米沢へ。

北山原殉教遺跡(全体)

初米沢です。道の駅田沢を経由するルートで米沢の街に入り、まずは北山原(ほくさんばら)殉教遺跡へ向かいます。そこは米沢藩の刑場跡地で1629年1月12日にキリシタン53名が処刑された場所。今は整備され住宅地の中の穏やかな史跡となっています。

北山原殉教遺跡

訪れた土曜日7月1日は期せずして「福者ペトロ岐部司祭と187殉教者」の記念日。187人の内の53名がこの米沢で殉教したこの地に立つことに心傾けます。

北山原殉教遺跡(一部)

ドイツから贈られたキリスト・マリア・ヨハネの像。その前には祭壇も置かれてあります。

北山原殉教遺跡(祭壇)

教会墓地が併設された遺跡を後に米沢観光に移行します。

米沢城址

米沢城址。そこは伊達政宗生誕地、上杉景勝、直江兼続、上杉鷹山の世界でした。城址見学後歴史を知るために隣の国宝洛中洛外図のある米沢市上杉博物館へ。

米沢市上杉博物館

初めはどちらも市立だと思っていたら市立の米沢市上杉博物館と県立の置賜(おきたま)文化ホールが合築された施設。その内の市立へ入館します。目当ては歴史を知ることと狩野永徳筆の国宝「上杉本洛中洛外図」。精緻です。

上杉博物館・文化ホール両施設入口

謳い文句の通り歴史と文化を身体で感じることができる施設でした。特に上杉鷹山をより深く、米沢の人にとっての鷹山を知ることができました。知る範囲の博物館では屈指。

上杉家廟所

一旦退館し昼食後再入館。その後どうしようかなと思いながらも国指定史跡なので上杉家廟所も見学することにし移動します。

土曜日の米沢駅

最後に米沢駅に立ち寄りその日は米沢泊。米沢の食べ物、唯々、作って下さった方に感謝し美味しく頂戴しました。本当だったら一座でも登って米沢観光という個人としてはアレ、つまり齷齪(あくせく)した貧乏たらしい野暮ったい計画も有ったのですが山間部は雲の中。ホテルから眺める山並みも雲に隠れて一安心。一日を終えます。

宿より米沢の北西の山を望むも雲の中

翌、日曜日は教会へ。ミサに与ります。

昨日のカトリック米沢教会

前日訪れた北山原殉教遺跡と併設された墓地を持つ教会です。ミサ後そういうつもりもあったようでなかったような、結果プチ営業。新潟教区での初営業となります。

昨日のカトリック米沢教会聖堂内

伊達政宗生誕地米沢だけど生誕した城は前日訪ねた米沢城址ではなく、舘山城という山城が伊達氏の本拠地であり政宗の生誕城という国指定史跡になって1年と4ヶ月の遺構へ移動します。

有名な文言の案内柱

調べればあまりにも有名な文言の案内柱のある史跡。最上川源流の大樽川沿いの山城と山麓居館跡。立て看板が幾つか立ち説明文が記載されています。その中の一つによると上流域立石邑は支倉常長の生誕地。米沢二日目も遣欧使節団、殉教者に想いを馳せる旅となります。その立石を南に進めば西大巓、西吾妻山へと続く白布峠。そこは昨年訪れた場所「西大巓・天狗岩・西吾妻山、矢筈山も」の記録地。繋がる喜びを噛みしめながら山城へ向かいます。

舘山城跡 舘山東館

うっそうとした山城跡で広大です。それなりの服装と靴でないと登城できないかもの自然豊かさで、夏場より冬枯れした時期の方が現時点では良いみたい。

舘山城跡 物見台

城跡見学後、帰途に就きます。往路では寄らなかった喜多方、会津若松の市街地を経由して戻ります。殉教絡みであったり営業も有ったりの山絡み無しの思った以上に近いと感じた米沢。東北、やっぱ好き。